このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句
荒海や佐渡によこたふ天河
出典は『奥の細道』。
酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望、遥々のおもひ胸をいたましめて加賀の府まで百卅里と聞。
鼠の関
をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国
一ぶりの関
に到る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡によこたふ天河
元禄2年(1689年)7月4日、芭蕉は
出雲崎
に泊まった。芭蕉園の前の大崎屋という旅籠に宿泊したという言い伝えがある。
○四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。 弘智法印像為
レ
拝。峠 より右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ、ワタベト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。
『曽良随行日記』
出雲崎は大雨が降っていて、天の川は出ていなかった。
『風俗文選』
(許六編)に「銀河
ノ
序」がある。
○北陸道に行脚して。越後
ノ
國出雲崎といふ所に泊る。彼佐渡がしまは。海の面十八里。滄波を隔て。東西三十五里に。よこおりふしたり。みねの嶮難谷の隈々まで。さすがに手にとるばかり。あざやかに見わたさる。 むべ此島は。こがねおほく出て。あまねく世の寳となれば。限りなき目出度島にて侍るを。大罪朝敵のたぐひ。遠流せらるゝによりて。たゞおそろしき名の聞えあるも。本意なき事におもひて。窓押開きて。暫時の旅愁をいたはらむとするほど。日既に海に沈で。月ほのくらく。銀河半天にかゝりて。星きらきらと冴たるに。沖のかたより。波の音しばしばはこびて。たましひけづるがごとく。腸ちぎれて。そゞろにかなしひきたれば。草の枕も定らず。墨の袂なにゆゑとはなくて。しぼるばかりになむ侍る。
あら海や佐渡に横たふあまの川
出雲崎の芭蕉園に天河句碑(銀河序)がある。
新潟県弥彦村の
宝光院
、佐渡市の
総鏡寺
、
気比神社
、
海運資料館
糸魚川市の
西蓮寺
岐阜県大垣市の
「ミニ奥の細道」
に句碑がある。
宝光院の句碑
総鏡寺の句碑
気比神社の句碑
出雲崎町の妙福寺にある新旧2基の
俳諧伝灯塚
にこの句が刻まれている。
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