このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


くわんをんのいらか見やりつ花の雲

JR総武線亀戸から浅草寿町行きのバスが出ているので、乗ってみることにした。


雷門でバスを降りる。

浅草を歩くのは20年ぶりだろうか。

浅草寺山門


   浅草の雪

金竜山浅草寺の朱き山門の雪まつしろに霽れにけるかも

首出して神馬雪喰ふつつましさ見て通りけり朝の帰りに

北原白秋 『雀の卵』


寺宝を収蔵しているので、「宝蔵門」と称している。

浅草寺は人が多い。

浅草寺山門の右に弁天山がある。

 浅草弁天山は 布施弁天江ノ島 とともに関東三弁天のひとつに数えられているそうだ。

弁天山に時の鐘がある。


時の鐘(浅草寺)

 元禄5年(1692年)8月、5代将軍徳川綱吉の命により、深川住の太田近江大椽(だいじょう)藤原正次が改鋳し、その費用として下総(現、千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金200両を寄進した。

花の雲鐘は上野か浅草か

 昭和20年3月の 東京大空襲 で火を浴びたが無事に残り、今なお昔のままの姿を見せている。なお、鐘楼は同空襲で焼け落ち、昭和25年5月再建されたものである。

時の鐘の脇に芭蕉の句碑がある。


くわんをんのいらか見やりつ花の雲

貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。

芭蕉が 深川の草庵 で病気で寝ていた時に作ったという。

この時代、深川から浅草の観音様の屋根がみえたそうだ。

寛政8年(1796年)10月12日、句碑建立。

二天門


浅草寺の 雷門 は有名だが、二天門はあまり知られていない。

二天門

 元和4年(1618年)浅草寺観音堂の西南に東照宮が建ち、この門は随神門(ずいじんもん)であった。その東照宮は寛永8年(1631年)と同19年(1642年)の再度の火災に浅草寺の他の諸堂とともに焼失して、江戸城内の紅葉山に移されたが、随神門のみは炎上を免れた。

この門は昭和21年国宝、同25年重要文化財に指定された。

 明治43年(1910年)8月10日、埼玉県幸手の 権現堂提 が切れ、浅草の観音様まで水が来たそうだ。

隅田公園 へ。

芭蕉の句碑 に戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください