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芭蕉の句碑


春もやゝけしきとゝのふ月と梅

松阪市愛宕町に菅相寺という寺がある。


梅松山菅相寺


臨済宗 妙心寺派の寺である。

菅原道真を祀る天満宮の別当寺であった。

本堂の右手に大きな芭蕉の句碑があった。


春もやゝけしきとゝのふ月と梅

出典は 『薦獅子集』 (巴水編)。

 元禄6年(1693年)1月20日、 深川芭蕉庵 から大垣の 木因 に宛てた書簡にある。

元治元年(1864年)3月、吉井政治郎・井田藤次郎建立。

芭蕉の句碑の左に小さな「芭蕉翁桃靑居士」の碑があった。


 宝暦3年(1753年)10月、芭蕉没後60年に梅輦は梅斧と三井親和の書で「芭蕉塚」を建立。

爰に梅輦・梅斧の二龍、神路山や御裳濯川の流ちかき松坂の県に住し、常産業にいとまなき身のしかも其齡弱にして、いまだ壮にもたらざるに、道に信ある事切なるあまり、今年駅中の好士を励し、其所の勝地菅相禅院に古翁の墳塚を築て石碑を建塚ノ神ハ以翁之句千梅書碑之面ハ江府三井親和筆也その恩に酬ふ。彼塚上六年のおもひ、今六十年の此としにあひたる、誠に感ずべし。

   報恩歌僊

冬にたつ竹は根入千尋にて
   千梅

しくれの後の石に照る月
   梅輦

朝市の出鼻を馬の嘶(むせ)ぶらん
   梅斧

芭蕉塚造立と聞より感にたへず、遥々東武を馳て此県に至り、両子を訪ひて菅相院に詣す

松風の咽ぶも嬉し雪の花
   方竟千梅

『千ひろの陰』

『諸国翁墳記』 に「芭蕉塚 伊勢松坂菅相寺在 梅輦連中建」とある。

梅輦は伊勢松阪の商人。方鏡閣 千梅 に師事。

天明4年(1784年)、梅輦没。

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