このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

翁 塚


〜枯野塚〜

福岡市東区馬出にNTT馬出ビルがある。


馬出ビルの北側の民家に「枯野塚」がある。


芭蕉翁之墓

元禄12年(1699年)、郷土の俳人哺川は、博多に滞在していた松尾芭蕉の高弟 向井去来 から芭蕉の辞世の句を贈られました。哺川はこの好意に深く感激し、同じ芭蕉の高弟 志太野坡 に「芭蕉翁の墓」の碑名の書を依頼し、元禄13年(1700年)に枯野塚を建立しました。芭蕉追慕の墓碑(句碑)としては、全国的にみて最も古い部類に属し、俳譜史上の価値が高いことなどから、県の史跡に指定されています。

 宝永元年(1704年)、記念集 『枯野塚集』 (哺川撰)刊。採荼庵 杉風 序。嵯峨野 去来 跋。

 宝永2年(1705年)、魯九は長崎に旅立つ。帰途、「枯野塚」に詣でている。

   はこさき枯野つかに詣てゝ

さひしさを取ひろけたるすゝき哉


「枯野塚」の左手に「哺川菴主之墓」がある。

正徳癸巳年 正月初三日

木立に隠れて芭蕉の句碑があった。


旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

出典は 『笈日記』 (支考編)。「病中吟」と前書きがある。

 元禄7年(1694年)10月8日、大坂 南御堂 前花屋仁右衛門宅で詠まれた句。

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