このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
「芭蕉句碑」
蛙子は目すり膾をなく音かな
印西市吉高の富井氏宅に「はせを」の句碑があるというので、行ってみた。
富井氏宅前の畦道に「はせを」の句碑があった。
蛙塚
この塚むかし正保の頃富井外記てふ人
ありて多くの蛙を埋めしと言傳ひぬ
蛙子は目すり膾をなく音かな はせを
出典は
『
俳諧
一葉集』
だが、
存疑
句である。
明治25年(1892年)4月15日、建立。
碑陰に故半香舎一世此君園、故二世梅麿、故三世有隣、故幽谷舎梧井、精香舎東水、竹窓茶烟、玉波亭萩池、江南亭梅理の蛙の句が刻まれているようだが、読めない。
一世此君園は吉高村の医師前田宗珉。俳号梅丸。
田川鳳郎
の門人。
赤松宗旦
は宗珉に師事し、医学や漢学を学んだという。
天保12年(1841年)、没。
二世梅麿は前田宗珉の子元珉。
三世有隣は萩原の林多一郎。
精香舎東水は本埜村下井新田の小池権四郎。半香舎四世を嗣ぐ。
江南亭梅理は前田元珉の三男で分家した須藤元誓。半香舎五世を嗣ぐ。
宗像神社
にある芭蕉句碑の撰者。
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