このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
蓬莱にきかはや伊勢の初たより
長浜市港町に慶雲館がある。
慶雲館
明治20年(1887年)2月21日、明治天皇・昭憲皇太后の御休憩所として長浜の豪商・浅見又蔵氏が私財を投じて建設しました。命名は同行した初代内閣総理大臣・伊藤博文です。
慶雲館前庭に日本一大きな芭蕉の句碑があった。
蓬莱にきかはや伊勢の初たより
出典は
『炭俵』
。「
立春
」と前書きがある。
元禄7年(1896年)、江戸で詠まれた句。
句の意味は、元日のめでたい蓬莱飾りの時、伊勢からの年賀状が届けば嬉しいのだが、と解されている。芭蕉はこの句を記した元禄7年(1896年)この世を去るが、不老不死の象徴である蓬莱と神都である伊勢の組合せは偶然とは思えない。
この句碑が建てられたのは、書家である露城が活躍した明治後期と推定される。
高さ494cm、幅230cm、奥行き85cm、重量10トンという。
露城は正風十五世
瀬川露城
。
大津市の
芭蕉会館
に芭蕉道統歴代句碑がある。
平成17年頃に市民会館から慶雲館に移設したそうだ。
静岡市の
狐石
は長さ8メートル、高さ4.5メートルほど。
芭蕉の句碑と考えると、最大の句碑。
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