このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


この道やゆく人なしに秋のくれ

行方市内宿に化蘇沼稲荷神社がある。


化蘇沼稲荷神社


文明10年(1478年)、創建。

 文化14年(1817年)5月25日、 小林一茶小川 から化蘇沼稲荷神社を訪れている。

帆津倉の俳人 洞海舎李尺 の氏神という。

[廿]五
 晴 小川ヨリ四里馬ニて送ラルゝ


 化蘇根(沼)イナリ社有 李尺氏神ト云 帆津倉ニ泊

『七番日記』(文化14年5月)

文政元年(1818年)、李尺は俳書『ありのまゝ』を編集。

天保6年(1835年)9月4日、李尺は74歳で没。

社殿の右手に芭蕉の句碑があった。


この道やゆく人なしに秋のくれ

出典は 『其便』 (泥足編)。

元禄7年(1694年)9月26日、 浮瀬亭 で巻かれた半歌仙の発句である。

安政5年(1858年)10月、洞海舎凉谷社中建立。

『諸国翁墳記』 に「二見塚 常州行方郡武田化蘇沼稲荷社内在」とある。

洞海舎凉谷の句も刻まれている。

名月も昨日になりぬ峰の松

「凉谷は李尺の子」とする説もあったが、李尺の別号であるようだ。

社殿の奥にもうひとつ芭蕉の句碑があった。


永き日も囀たらぬひばり哉

出典は 『続虚栗』

  『笈日記』 (尾張部)、 『陸奥鵆』『泊船集』『風羅袖日記』 には「永き日を」とある。

貞亨4年(1687年)、芭蕉44歳の句。

  『諸国翁墳記』 に「雲雀塚 常州行方郡武田化蘇沼社内在 連中建之」とある。

山居由之を始め、洞海舎凉谷社中の俳人71名の名が記されている。

芭蕉の句碑と並んで山居由之の句碑があった。


冬牡丹水も薪も裏の山

由之は『ありのまゝ』の序文を書いている。

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