このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
さゝれ蟹あしはひのほる清水哉
箕輪町中箕輪木下に清水の里がある。
木下区南部の国道から西に入る道筋(旧伊那街道箕輪坂の登り口)に豊富な清水が湧き出ている場所があります。地区の人々は、この地域を「お観音様」と呼んでいて、文化3年(1806年)に法界寺二十一世察誉上人が観音堂を建設し村人の信仰を集めましたが、明治初年に焼失しました。 周辺には、芭蕉句碑、井上士郎句碑、清水の里の碑等の文学碑が見られ、その他にも各種の石造物が残っています。
MINOWA・湧水MAP
芭蕉の句碑
さゝれ蟹あしはひのほる清水哉
出典は
『続虚栗』
。
『蕉翁句集』
(土芳編)に「貞享四卯ノとし」とある。
享和2年(1802年)、法界寺住職正阿ら建立。
中村伯先
書。
『諸国翁墳記』
に「
信陽箕輪木下町清水坂連中建之
」とある。
享和元年(1801年)3月18日、
鶴田卓池
は
井上士朗
に随行して江戸を立ち信州へ旅をする。
清水の里にて
水の涌くさては住よき四月哉
『東都紀行』
少し離れて井上士朗の句碑があった。
またも来ん清水の里の菫草
文政11年(1828年)、正阿ら建立。
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