このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
疑ふ那塩農華裳宇羅廼春
嘉永5年(1852)閏2月23日、吉田松陰は木浦を経て
平沢
を通り
本庄
へ。
木浦を經、舟にて一川を濟る。此の間稍海濱を離るれども、平澤に至り又海濱に出で、平沙を行く。本庄に宿す。
『東北遊日記』
にかほ市金浦金浦の旧羽州街道沿いの旧家に「
疑ふなうしおの花もうらの春
」という芭蕉の句碑があるというので、訪ねてみた。
旧家の裏庭に芭蕉の句碑があった。
「
芭蕉翁
」はともかく、句は読めなかった。
そこで、にかほ市教育委員会に問い合わせてみた。
郷土史家の調査報告書によれば、次のように刻まれているとのことであった。
疑ふ那塩農華裳宇羅廼春
出典は『いつを昔』 (其角編)。
「
二見の図を拝み侍りて
」と前書きがある。
元禄2年(1689年)春、芭蕉46歳の句。
先祖の方が上浜の方から移したものだとのこと。
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