このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
蓬菜に聞ばや伊勢の初便
福岡市博多区上川端町に櫛田神社がある。
櫛田神社
博多總鎮守
明和8年(1771年)、蝶夢は博多を訪れ櫛田神社のことを書いている。
櫛田の社 は菊地寂阿入道が此宮の前にて、馬のすくみて行ざりければ、菊地が軍だちにいかなる神かとがめ給ふべきとて、社壇へ矢を射かけて神躰の大蛇を射殺しける宮居なり。
『宰府紀行』
境内に夫婦恵比須神社がある。
夫婦恵比須神社に「花本大神」句碑があった。
裏面に芭蕉の句が刻まれている。
蓬菜に聞ばや伊勢の初便
出典は
『炭俵』
。「
立春
」と前書きがある。
元禄7年(1896年)、江戸で詠まれた句。
「花本大神」とは、松尾芭蕉に下賜された神号「花本大明神」のことである。(神号は天保14年(1843年)芭蕉百五十回忌にあたり、真正芭蕉風を唱える天保三大俳人の一人
田川鳳朗
が京二条家に請願し下賜されている)
博多では、江戸中期から明治にかけて芭風俳諧が広く好まれ、芭蕉二百回忌を前に、追善の誠を表し、有志によってこの句碑が明治26年10月に建立されている。
蒙古軍の碇石
(いかりいし)
があった。
弘安4年、元の軍勢10万博多の港に侵攻して全滅した時、敵の軍船が遺棄したと伝えられる。赤石白石いずれも出土品で朝鮮チュルバリ港付近の石材と云う。
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