このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
杜若語るも旅のひとつかな
知立市の「明治用水緑道 西井筋線」を行く。
明治用水緑道 西井筋線
この緑道の下にはパイプがうめてあり、明治用水(西井筋)が流れています。明治用水は江戸時代(1808年頃)に
都築弥厚
が計画し、岡本平松・平松与左衛門の努力によってできた用水です。(西井筋は明治14年=1881年完成)
芭蕉の句碑があった。
杜若語るも旅のひとつかな
平成7年(1995年)11月、知立市市制25周年記念に建立。
この句は、芭蕉の紀行
『笈の小文』
に収められたもの。元禄元年(1688年)4月、大阪の保川一笑宅において作った句である。杜若を眼前にして、『伊勢物語』で有名な三河八橋の杜若を話題にしたのであろう。芭蕉はそれまでに東海道を少なくとも2往復半しているが、杜若を見たと思われるのは、延宝4年(1676年)夏、郷里へ赴いた折であった。『伊勢物語』の業平が望郷の思いに涙したという八橋の杜若は、久しぶりに郷里に赴く芭蕉にもさまざまな感慨を起こさせ、いつまでも心に残ったのであろう。一笑宅の杜若も見事だが、10年以上も前に見た八橋の杜若は、今も忘れられないというのである。なお、この句の芭蕉自筆のものが伝わらないので、この碑は乙州編の『笈の小文』によった。
(監修 愛知教育大学教授 岡本 勝)
貞享5年(1688年)9月30日、元禄に改元。
保川一笑は伊賀の人。当時大坂に住んでいた。
昭和14年(1939年)4月16日、
種田山頭火
は明治用水を歩いている。
明治用水々源池
さくらがちれば酒がこぼれます
『旅日記』 昭和十四年
来迎寺一里塚
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