このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
花の陰うたひに似たる旅年哉
南箕輪村北殿の国道153号からJR飯田線北殿駅に向かって明和坂を下る。
右手の竹藪の前に芭蕉の句碑があった。
芭 蕉 翁
花の陰うたひに似たる旅年哉
出典は
『阿羅野』
(荷兮編)。「
大和國草
(平)
尾村にて
」と前書きがある。
貞亨5年(1688年)、
『笈の小文』
の旅の途中、吉野の平尾村で詠まれた句。
安永3年(1774年)、三狂庵門人箕輪連中建立。
三狂庵は飯田藩士窪田住武。俳号は桐羽。「伊那俳壇の祖」と言われる。
横井也有
書。也有73歳の時である。
天明3年(1783年)6月16日、也有は82歳で没。
天明8年(1788年)3月9日、蝶夢は江戸へ下る途中で殿村に泊り、翁塚のことを書いている。
稲辺の川の向谷間に高当の城の見へて、『甲斐軍記』のことを思ふも更也。殿村に泊る。也有、七十三にて翁塚を建る。
花の陰うたひに似たる旅寐哉
『富士美行脚』
『諸国翁墳記』
に「
旅寝塚 信州伊奈郡殿村
ニ
在 三狂庵門人建之
」とある。
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