このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


何とはなしに何やら床し菫草

名古屋市熱田区白鳥町に名古屋市立宮中学校がある。


宮中学校の校門を入ると、右の木立の中に 牧水の歌碑 があった。


うす紅に葉はいち早く萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花

宮中学校の運動場付近に芭蕉の句碑があった。


何とはなしに何やら床し菫草

熱田三謌僊 安永四未夏五月 曉臺」とある。

昭和45年(1970年)3月、宮中学校第二十一回卒業生一同建立。

芭蕉 菫塚句碑

 芭蕉は江戸時代の貞享元年(1684年)熱田の地を訪れ、俳諧の門人林桐葉の宅(現在の神宮2丁目付近)に泊まった。

 翌年3月、再び来訪した芭蕉は、現在の宮中学校の運動場付近にあった白鳥山 法持寺 に詣で、辺りの景色をめでながらひともとのすみれに心を寄せ、この句を作った。

 なお、この句は後に 『野ざらし紀行』 の中で、

山路来て何やらゆかしすみれ草

と改作している。

旧木柱句柱      昭和40年建立
現根府川句碑  昭和45年3月建立

 貞享2年(1685年)3月27日、芭蕉は熱田白鳥山法持寺で桐葉、叩端と「何とはなしに何やら床し菫艸」と「つくづくと榎の花の袖にちる」を発句とする歌仙巻く。

 前年の「此うみに草鞋(わらんぢ)すてん笠しくれ」を発句とする一巻と合わせ「熱田三謌僊」という。

安永4年(1775年)、『熱田三歌仙』( 暁台 編)。

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