このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
雰しくれ富士を見ぬ日そ面白き
松本市芳川村井町の国道19号沿いに一里塚跡があった。
一里塚跡
一里塚は北国脇往還(善光寺街道)に置かれた目印で、周9メートル四方、2メートルくらいの高さの土盛りの上に周2.5メートルくらいの松があったという。その土盛りは明治40年ごろ取り壊され、現在は人家になっている。道端の碑は昭和24年に建てられた。
天明3年(1783年)8月13日、
菅江真澄
は
姨捨山
の月を見に出かけ「不二橋」を渡る。
小さき河に渡したるを不二橋といへり。此あたりより富士の見えけるにやいかゞ。けふは雲深ければ、
橋の名の富士こそ見えねくもる日はそこと心をかけて渡りぬ
『わがこゝろ』
一里塚跡の右に芭蕉の句碑があった。
信濃なる富士見橋こゆる日は
雨降て山皆雲に隱れたり
雰しくれ富士を見ぬ日そ面白き
はせを
出典は
『野ざらし紀行』
。
貞亨元年(1684年)8月、芭蕉は千里を伴い「野ざらし紀行」の旅に出る。
関こゆる日は、雨降て、山皆雲にかくれたり。
雰しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き
『野ざらし紀行』
文化10年(1813年)8月、建立。
芭蕉句碑は国道19号線の改修により所を変えていたが、現在地に落ち着いた。文化10年8月村井宿の銘がある。「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」。善光寺道名所図会に載っている。
嘉永2年(1849年)、『善光寺道名所図会』刊。
芭蕉の句碑
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