このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
鶯や柳のうしろ藪の前
伊勢崎市東小保方町にあずま水生植物公園がある。
あずま水生植物公園に芭蕉の句碑があった。
鶯や柳のうしろ藪の前
出典は
『続猿蓑』
(沾圃編)。
『蕉翁句集』
(土芳編)は「元禄五甲
(ママ)
ノとし」とする。
天保14年(1843年)、芭蕉百五十年忌に萩原詠帰建立。
『はせをつか』
(楓幻亜編)に収録されている。
芭蕉句碑
この芭蕉句碑は天保14年(1843年)に萩原詠帰によって建立されました。もともとは伊勢崎・足利通と境・大間々通が交わる下の辻にたてられていたもので、台石の正面は道しるべになっています。
碑の正面には、松尾芭蕉と萩原詠帰のふたりの俳句が並んで刻まれています。
鶯や柳のうしろ藪の前
芭 蕉
ふるさとやそだちあふたる萩小松
桐園詠帰
萩原詠帰は東小保方村台の人で、当時の上州俳諧の一大勢力だった伊勢崎の
栗庵似鳩
に師事していましたが、やがて寛政8年(1796年)俳句で身を立てるため江戸へでました。江戸では市ヶ谷御門前に居を構えて桐園詠帰と号し、以後『佐野の舟はし』『みちのくふり』など数多くの句集を世に出しました。
晩年になって郷里に芭蕉句碑の建立を思い立ちましたが、句碑の完成を見ずしてこの世を去りました。
石工は伊勢崎の中村元右ヱ門と内田民次郎で、書は江戸在住の中嶽義路です。
伊勢崎市教育委員会
天保14年(1843年)、詠帰没。享年は不明。
芭蕉の句碑
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