このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


雁ゆくかたや白子若松

鈴鹿市若松西に緑芳寺という寺がある。


緑芳寺


真宗大谷派 の寺である。

本堂手前左手の植え込みに芭蕉の付句碑があった。


雁ゆくかたや白子若松

 元禄3年(1690年)3月、芭蕉の「 木のもとに汁も膾も桜かな 」を発句にして曲水、珍碩と巻かれた三吟歌仙の中の付句である。

秋風の船をこはがる波の音
   水

 雁ゆくかたや白子若松
   翁

『ひさご』(珍碩編)

緑芳寺は 大黒屋光太夫 生家亀屋の菩提寺である。

元禄5年(1692年)5月14日、貝原益軒は白子に泊まっている。

寺を出て上野の駅を過、白子と云所に宿す。是より桑名、熱田、三河の吉田にも舟にて渡る所なり。此所を鼓が浦と云。不断桜とて四時に花咲、名木の桜あり。此木は白子の内、寺家村観音寺の庭にあり。

十五日。白子をいづ。朝は雨ふる。神戸(カンベ)は石川若狭守殿領地にて。住給ふ。神戸を出れば高岡川あり。此比の大雨に洪水出て、河のわたり四町ばかりみなぎり流る。舟なければ渡るべきやうなし。せんすべなくて、いとすくやかなる里人を雇ひ、肩にとりて渡る。水深く、わたり遠ければ、あやうくしてなやみくるしめり。されど此役夫は、みたりの力あるつよきおのこにて。六十になれど猶すまひをよくとりて。此あたりにては名を得し男となん聞ゆ。馮河するには、いとたのもし。水のいとふかき所は、わかいさらゐをひたす。からうじて川をわたり追分にゆき、それより五十町を過て四日市に着。桑名にいたり、船にのり、海をわたらず川をのぼる。順風ふきて、やがて尾張の佐屋と云所につく。


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