このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


清多藝也難三邇塵那幾夏能月

高崎市吉井町多比良に普賢寺という寺がある。


普賢寺


天台宗 の寺である。

写経・阿弥陀立像二体は高崎市指定重要文化財だそうだ。

山門を入ると、左手に芭蕉の句碑があった。


清多藝也難三邇塵那幾夏能月
(きよたきやなみにちりなきなつのつき)

元禄7年(1694年)6月24日、杉風宛書簡に添えられいる。

落柿舎 滞在中の吟である。

同年10月9日、大坂の病床で芭蕉が亡くなる3日前に改案。

九日

服用の後、支考にむきて、此事は去来にもかたりを(お)きけるが、此度嵯峨にてし侍る、大井川のほつ句おぼへ(え)侍るかと申されしを、あと答へて、

   大井川浪に塵なし夏の月

と吟じ申しければ、その句 園女 が白菊の塵にまぎらはし。是もなき跡の妄執とおもへば、なしかへ侍るとて、

    清滝や波にちり込青松葉    翁


『笈日記』 (支考編)

 こんな人泣せの句碑がある。多野郡吉井町多比良の清滝寺故地にある。普通の書き方にすれば清滝や波に塵なき夏の月で、元禄二年 「陸奥鵆」 中の芭蕉句。享和三年の春建立のもの、形も面白いが、だれにも読ませたい句碑にこんな難文字をろうするのは悪いクセだ。この寺の庭には天神様がまつってあり、高所から引く細い滝が菅公硯水の池というのに落ちる仕かけ、外に菅公に関係の寺宝もある由。寺名に因む建碑であろう。

『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)

「元禄二年」は誤りである。

平成21年(2009年)6月1日、吉井町は高崎市に編入された。

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