このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


勢ひあり氷り消へては瀧つ魚

  楽山公園 から国道139号を行き、田原佐伯橋を渡ると都留市田原に田原の滝があった。


田原の滝


名勝田原の滝

 田原と十日市場の境にあり、白根の滝、白滝ともいわれた。

 古くから名瀑として知られ、松尾芭蕉ほか、谷村を訪れた文人墨客に称賛されてきた。

 かつては2段の滝であったが、明治31年に両岸が崩れて1段の滝となり、さらに関東大震災以降も崩壊が続き、上流に30メートル後退した。

 往時の姿は失われているが、両岸には富士の溶岩が急激に冷却凝固して出来た「柱状節理」が認められ、地学的にも貴重な存在である。

都留市教育委員会

芭蕉の句碑があった。


勢ひあり氷り消へては瀧つ魚

出典は『新虚栗』(麦水編)。

   春吟


勢ひあり氷消ては瀧津魚
   芭蕉翁

   此句今までの撰にもれたる
   よし、但州より告げたり。

天和3年(1683年)、芭蕉が谷村逗留中の嘱目吟だそうだ。

俳諧一葉集』 には考證として「勢ひなり氷きえては瀧津魚」とある。

『芭蕉翁句解参考』 には次のような句形で3句収録されている。

   甲州郡内といふ瀧にて

勢ひある山辺も春の瀧川魚

きほひありや氷柱化しては滝の魚

勢ひなり氷きえては瀧つ魚

天保11年(1840年)、田川鳳郎は北陸行脚の帰途白瀧を訪れている。

   白瀧 谷村の西二十町斗り八日市といへる町はつれにあり
       蕉翁しはらく此地に遊んて句有り

   いきほひあり氷柱消てハ瀧津魚

其真蹟鳴屋何某か家に秘藏す予も是に倣て

   いきほひの稲妻消すや瀧の音


 「甲斐郡内谷村に白滝といふ滝あり。また田原の滝とも云ふよし、此滝にての句なるよしと伝ふ。」と底本にあるそうだが、「底本」が分からない。

    甲斐谷村の西に白瀧 といへる有
    蕉翁此地に遊びていきほひあり。
    氷柱消ては瀧津魚 其眞蹟、某が
    家に秘蔵す。予も是に倣て

いきほひの稲妻けすや瀧のおと


昭和23年(1948年)、谷村町郷土史蹟保存会建立。飯田蛇笏筆。

飯田蛇笏は山梨県生まれの俳人。

 都留市には桂町の 宝鏡寺 にも芭蕉の句碑があるそうだが、今日は歩き疲れたので後日とする。

石和温泉 へ。

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