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翁 塚


〜洞雲寺〜

豊島区池袋に洞雲寺という寺がある。


洞雲寺

 竜泉山洞雲寺は数少ない 黄檗宗 の寺院である。黄檗宗は江戸時代の承応3年(1654年)中国の福建省より来朝した隠元隆琦が開いた禅宗の1派であり、本山は、京都府宇治市にある黄檗山万福寺である。

 当寺は、もと臨済宗妙心寺派 平林寺 の末寺であったが、寛文年中(1661−1673)に住職の平石道樹が、隠元禅師と共に来朝した独湛性瑩(万福寺四世)の弟子となったため、黄檗宗に転じたと伝えられる。開山は独湛禅師、中興開基平石和尚とされている。

 当寺はかつて文京区関口町にあり、江戸時代には近くの椿山八幡宮、水神社、関口八幡宮、竜隠庵(りゅうげあん)を管理していたが、大正3年に現在地に移転した。竜隠庵は神田上水の普請に加わった松尾芭蕉が住んだあたりといわれ、いま 関口芭蕉庵 として著名である。

 当寺には、寛政10年(1798年)に俳諧美濃派玄武一門の人々による松尾芭蕉、梅花(蕉門十哲の一人で、美濃派祖、 各務支考 )・玄武(神谷玄武)の位牌が現存し、墓地には森鴎外の『渋江抽斎』に登場する医師で考証学者の森枳園の墓などがある。

東京都豊島区教育委員会

神谷玄武は江戸の人。獅子門三世 仙石廬元坊 に師事。

竜泉山洞雲寺


同じ所上水堀の端にあり。昔は真言宗にして安楽寺と号く。故ありて元禄十年丁丑黄檗宗に改め、洞雲寺の持となり(洞雲寺は音羽町八丁目の西の裏にあり。)平石和尚住持す。本尊は正観世音、 慈覚大師 の彫造といふ。庵の前には上水の流れ横たはり、南に早稲田の耕田を望み、西に芙蓉の白峯を顧みる。東は堰口にして水音冷々として禅心を澄ましめ、後には目白の台聳えたり。月の夕、雪の朝の風光も又備はれり。

『江戸名所図会』 (竜隠庵)



梅花佛 芭蕉翁 玄武佛

碑の裏に「文化三丙寅年二月建立 白山下連中」とある。

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