このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


かけはしや命をからむ蔦かつら

木曽町中畑に津島神社がある。


津島神社


津島神社に芭蕉の句碑があった。


かけはしや命をからむ蔦かつら

出典は 『更科紀行』

宝暦11年(1761年)、咄々房は棧に木碑を建立。
明和2年(1765年)、咄々房江戸で客死。
明和3年(1766年)、巴笑は石碑を建立。 也有 筆。
明治15年(1882年)、津島神社に再建。

記念集『桟集』(巴笑編、也有序)がある。

今は八とせ斗の昔となりぬ。吾咄々房行脚を思ひ立ける始先とく岐岨に杖を牽しに、其地の人々の情に旅寐を重ねて、爰に祖翁の句有るを尊ひ、棧のもとに一碑を建て世に長く遺さんの志を起せしが、纔にその地を撰ひ定め、そのうへの營は猶再遊の期を約し置く。夫より北越關東に漂泊し、しばらく武府に暖席を得しと、去年萩の葉の音信には聞へし。今はやゝ故郷もゆかし、物の仕果ぬ事もあれば、此秋必歸りこんと告來りしあらましも、定めなき風の無情に誘はれ、はかなく武蔵野の露とは消ぬ。彼志願の央にして遂さるの恨、知るとし知る人の歎さるはなきが、中に福島の巴笑なるおのこ殊に此事を深く憐み、この年一巳の力を奮ひて急に一基の石碑を造立す。されば石面に祖翁の一句を表し、側に咄々房建之五字を彫め、更にみづからの功を知らしめず。噫、朋友の信ありて、しかも陰徳の至れることや、遙に季札が蹤にも起たり。遠くは翁の魂を慰め、近くは咄々房が遺志を遂て、泉下に歡喜深かるへくは、などか陽報の冥加なくてや有べき。猶はた其地の騒士心を合せて小集一部を成さんとして予に小序を求む。予此事を始よりよく知れるがうへ、咄々房は舊識也、巴笑もとより一知己なり。其誼誠に辭すべからず。つゐに巻首に一語を贅す。

明和三年戌十月
   尾陽 蘿隱也有

『桟集』也有序

『諸国翁墳記』 に「蔦 碑 信州木曽梯在 咄々房建」とある。

木曽で最も古い芭蕉の句碑である。

巴笑は木曽福島の人。美濃派の俳人である。

に向かったが、雨が激しくなった。

また日をあらためて来よう。

芭蕉の句碑 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください