このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


くらつぼに小坊主のるや大根ひき

洲本市由良町内田の県道76号洲本灘賀集線沿いに内田神社がある。

境内の右手に芭蕉の句碑があった。


くらつぼに小坊主のるや大根ひき

出典は「 荊口 宛真蹟書簡」(元禄6年11月8日)。

『炭俵』 に収録されている。

元禄6年(1693年)10月、芭蕉50歳の句。

 芭蕉の句は人事を詠みたる者多かれど、皆自己の境涯を写したるに止まり

   鞍壺に小坊主のるや大根引だいこひき

の如く自己以外にありて半ば人事美を加へたるすら極めて少し。

正岡子規「俳人蕪村」

昭和52年(1977年)、「渡辺月石を顕彰する会」発足。

 この句碑は文化・文政・天保年間に内田村の庄屋職をつとめた渡辺月石(弥三右衛門)が天保5年(1834年)に建立したものである。当時内田村は大根の名産地であったことからこの句を選び、月石が自ら石に刻んだ。

 月石は宝暦4年(1754年)内田村に生まれた。幼い時から勉学に励み、漢詩・和歌・俳句をよくし、絵画彫刻にも優れた才能を発揮した。郷土史の研究にも大きな足跡を残したが、「堅盤草」10巻は、民俗学の先がけとして高い評価をうけている。

 天保9年(1838年)85才の天寿を全うして没した。

芭蕉の句碑の左に渡辺月石の句碑があった。


門松の葉毎に齢算へけり

 この句は、天保8年(1837年)に84才の春を迎えた渡辺月石が、家族らと共に新年の祝賀をした際に詠んだものである。なお月石は、それより5年前の天保3年に俳人仲間に呼びかけて、淡路町 岩屋 に松尾芭蕉の句碑「子規きえゆくかたや嶋ひとつ」を建立するなど、淡路の文化発展に力を尽くした。

平成7年(1995年)4月9日、内田町内会・渡辺月石顕彰会建立。

平成27年(2015年)、高齢化のため「渡辺月石を顕彰する会」解散が決定。

内田神社


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