このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
早苗とる手元や昔しのふ摺
西会津町野沢本町甲に和久井呉服店があった。
現在、和久井呉服店は営業していない。
和久井呉服店の裏にゲートボール場がある。
ゲートボール場に芭蕉の句碑があった。
早苗とる手元や昔しのふ摺
元禄2年(1689年)5月2日(陽暦6月18日)、芭蕉が
文知摺石
を眺めて詠んだもの。
明治23年(1890年)5月、早苗庵坡石建立。
文政元年(1818年)、江花坡石は塩川町に生まれる。幼名は佐恵助。坂下の五十嵐茶三に師事。
24歳の時、野沢の豪商笹屋本家の婿養子となったが、在籍6年で養子離縁となり、江花姓に戻り坂下に住む。
子の重固は祖父の兵四郎を襲名、会津屈指の豪商となる。
坡石67歳の時、重固は父を野沢に呼び、早苗庵を構える。
明治27年(1894年)、喜寿の記念で
諏訪神社
に芭蕉の句碑を建立。
明治31年(1898年)、81歳で没。
2006年1月4日、塩川町は喜多方市および耶麻郡熱塩加納村・山都町・高郷村と合併し、新しい喜多方市の合併特例区の一つとなった。
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