このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉
水戸市酒門町に善重寺という寺がある。
善重寺山門
貞永元年(1232年)、創立。
真宗大谷派
の寺である。
山門を入ると、左手に太子堂がある。
木造聖徳太子立像が安置されている。
鎌倉時代末期のもので、国指定文化財だそうだ。
徳川光圀
は一夜の夢で聖徳太子像が久慈郡大山に埋匿されているのを知り、酒門村の善重寺に一堂を建立して遷したという。
寛文11年(1671年)4月22日のことである。
芭蕉の句碑があった。
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉
「
蕉翁の逗留の折、当寺の聖徳太子像を拝み、この句を詠まれたと伝える。
」といわれが書いてあった。
出典は『武蔵曲』。
延宝9年(1681年)秋、芭蕉38歳の句。
芭蕉は門人李下が深川の草庵に植えたもの。
前書に「
老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたゝびこの句を侘て、屋漏の句作る。其世の雨を芭蕉葉にきゝて、独寝の草の戸。
」とある。
「老杜」は杜甫、「坡翁」は蘇東坡のこと。
安永年間(1772〜1780)、建立。晋派巽一葛松原人湖中書。
初代湖中太田資胤である。
資胤は棚倉藩主太田資晴の次男で、水戸藩士資真の養子となる。江戸の深川湖十に俳諧を学ぶ。湖十は
其角
の高弟。
もと酒門坂下に建てられていたが、倒されて田圃の用水堀の橋に利用されていたという。
『乙酉吟行甲乙記』
に「
猶芭蕉翁の古碑を尋ね拜すれは、はせを野分しての遺章を勤す、太田氏湖中老君建ツ。
」とある。いかがなものであろうか。
遍照山光明院善重寺
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