牧水ゆかりの地

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 関越自動車道月夜野ICで国道17号(三国街道)に入り、猿ヶ京温泉を過ぎてから、左側の細い道に入る。法師温泉「長寿館」で道は行き止まり。


法師温泉「長寿館」


 大正11年(1922年)10月22日、若山牧水は『みなかみ紀行』の旅で法師温泉を訪れた。

 そしてその広いのと湯の豊かなのとに驚いた。10畳敷よりもっと広かろうと思わるる浴槽が二つ、それに満々と湯が湛えているのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあった。
 
 法師温泉で2人と酒を飲んでいると、1升びんを下げた見知らぬ若者がまた2人入ってきた。

 其處へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入つて來た。一人はK−君といふ人で、今日我等の通つて來た鹽原太助の生れたといふ村の人であつた。一人は沼田の人で、阿米利加に五年行つてゐたといふ畫家であつた。畫家を訪ねて沼田へ行つてゐたK―君は、其處の本屋で私が今日この法師へ登つたといふ事を聞き、畫家を誘つて、あとを追つて來たのださうだ。そして懷中から私の最近に著した歌集『くろ土』を取り出してその口繪の肖像と私とを見比べながら、

「矢張り本物に違ひはありませんねヱ。」

 と言つて驚くほど大きな聲で笑つた。

 K−君は生方吉次、生方大吉代議士の弟。もう「一人」の「阿米利加に五年行つてゐたといふ畫家」は、まちがいで「かどふぢ」の生方誠(せい)。吉次と誠は親戚。

 この紀行文の中にあるKは吉次であり、アメリカ帰りの画家になっているのは私の夫のことである。

 吉次は、ふところから本の口絵をとり出して、牧水と見くらべる、という失礼千万な行為を平気でする男であったけれど、毒気のない如何にも大家の坊ちゃん、といったわがままな男であった。

 話によれば夫が帰朝して二、三日しかたっていなかたらしく、吉次はそこを訪ねてきてこの同行となったものらしい。

「『みなかみ紀行』の番傘」(生方たつゑ)

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