このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

牧水の文学碑

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関越自動車道月夜野ICから国道17号(三国街道)に入ると、湯宿温泉がある。


湯宿温泉には4つの共同浴場がある。

共同浴場「窪湯(くぼゆ)


「窪湯」の脇に「湯宿温泉ごあんない」があった。

牧水の歌碑があるというので、行ってみた。


私のひとり旅はわたしのこゝろの旅であり自然を見つめる旅である。

歌碑ではなかった。

『水上紀行』の一節らしいが、どの部分か分からない。

 大正11年(1922年)10月23日、若山牧水は 『みなかみ紀行』 の旅で湯宿温泉「 金田屋旅館(HP) 」に泊まった。

「金田屋旅館」


 湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの1、2晩の睡眠不足とのためである。

一人で寝ていると、そこにH−君が訪ねてきた。

 一時間も眠つたと思ふ頃、女中が來てあなたは若山といふ人ではないかと訊く。不思議に思ひながらさうだと答へると一枚の名刺を出して斯ういふ人が逢ひ度いと下に來てゐるといふ。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄つて來たH−君であつた。

 H−君は猿ヶ京の林銀次。土地の郵便局の息子で、当時仙台二高の学生だった。偶然帰ってきて金子刀水の本屋へ寄り、牧水が沼田に来ていることを知った。

沼田公園 に金子刀水の句碑がある。

「金田屋旅館」には牧水の泊まった部屋が残されている。

宿泊客が到着する時間で忙しそうだったが、見学させていただいた。

玄関脇の梯子のような階段を登ると、「牧水の部屋」がある。

「牧水の部屋」


ここで友人に葉書を書いている。

 岩村田から星野、×軽井沢、草津、沢渡、四万、×沼田、法師(×のほかみな温泉地)を歩いて、昨夜斯んな所へ泊まつた、大方歩く道なので、かなりこたへた、けふ再び沼田、明日は片品川の峡谷へ入る。

牧水が使ったと思われる机


昔風の灯り


泊まった頃は本当にランプだったのだろう。

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