このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
牧水歌碑
しなの鉄道坂城駅前
しなの鉄道坂城駅前 に若山牧水の歌碑がある。
若山牧水の歌碑
春あさき山のふもとに畑をうつうら若き友となにをかたりし
説明は何も書いてなかった。
明治45年(1902年)3月16日、牧水は長野県埴科郡南条村(現・坂城町)の山崎斌
(あきら)
を訪れて、10日余り滞在している。この時に詠まれた歌であろうか。
碓氷を越えると、真白な山が幾つとなく汽車の窓に現れた。最も手近な右手にある大きなのが浅間である。途絶え途絶えに烟が上つてゐた。坂城駅に降りた時は7時すぎ、山崎君と信越新聞記者二人に迎へられ山崎君宅に着いた。
3月17日付平賀春郊宛葉書
浅間山
18日に山崎斌宅で小会、19日には大屋に山本鼎を訪れる。21日に上田で、26日には山崎斌の実家のある
麻績
で会合を予定。
21日に上田町で、やや大きな会合を催す筈だ。昨夜は古今集と新派との比較談をやつた。上田ではもう少し面白い話題を選むつもりだ。26日には麻績に行き、そこで岩淵君に逢ひ、また会を開く。池田町へも行く。
3月19日付平賀財藏宛葉書
牧水のことだから予定通りに行われたかどうか分からないが、麻績で
太田喜志子
と再会する。
牧水の歌碑の隣に
高浜虚子
の句碑がある。
牧水歌碑
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