このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

牧水歌碑

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戸畑駅北口

JR鹿児島本線戸畑駅下車。

 牧水が父立蔵の十三回忌を営むために久しぶりに故郷に帰ったのは大正十三年三月で、その途中十三日には戸畑駅に着くとそこに附近の門下が大勢出迎えていて、一同揃って戸畑の毛利方に推しかけた。彼等はみな牧水とは初対面だったので感極まって泣き出す者もあり、その夜の毛利方は大へんだった。

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄)

戸畑駅北口に若山牧水の歌碑があった。


われ三たび此処に来りつ家のあるじ寂び定まりて静かなるかも

歌集未収録の歌である。

 昭和36年(1961年)5月7日、戸畑市教育委員会・戸畑短歌会・戸畑郷土史会建立。

 若山牧水は、地元の「創作」支社の招きで北九州を三度(大正13年3月、大正14年11月、昭和2年5月)訪れています。『創作』は、牧水が主宰していた、歌誌です。

 この歌は昭和2年5月に、日向に行って引き返し下関へ向かう途中に、牧水門下の歌人で「創作」の同人である毛利雨一樓宅を訪れたときに詠んだものです。

 牧水が北九州に来たときは必ず毛利雨一樓宅を訪ねるほど、二人は親しい間柄でした。この碑は毛利雨一樓宅があった南鳥旗町5番に建てられていたものです。

 この碑の他に、 戸畑図書館 敷地内にも牧水の歌碑が建てられています。その碑には大正14年11月に訪れたときに詠んだ次の歌が刻まれています。

新墾のこの坂道のすそとほし友のすがたの其処ゆ登り来

北九州市戸畑区役所

 昭和2年(1927年)5月、牧水夫妻は下関を出航。57日間にわたり朝鮮で揮毫旅行をする。

   下の関の宿屋にて

藤の若葉や船出の前の荷造りのせはしき部屋に見たる若葉や

『黒松』

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