このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
昔の旅日記
安房勝山
〜水仙〜
JR内房線安房勝山下車、佐久間川に沿って海岸へ。
文明18年(1486年)、道興准后は勝山を訪れた。
勝山と云へる所にて。
駒はあれどかちよりぞ行くかち山の里にこはたそ思ひやらるゝ
『廻国雑記』
安房勝山は
源頼朝
上陸地。記念碑が2つ並んでいる。
史蹟 源頼朝上陸地
千葉県教育委員会
県指定史跡 源頼朝上陸地
千葉県知事川上紀一書
治承4年(1180年)8月23日、源頼朝(1147−1199)は相州
石橋山の合戦
に敗れ、28日同国土肥郷
真鶴崎
を小舟で脱出、29日安房国へ渡航。
8月29日 己酉
武衛實平を相具し、扁舟に棹さし安房の国平北郡猟島に着かしめ給ふ。北條殿以下人々之を拝迎す。数日の欝念一時に散開すと。
『吾妻鏡』(治承4年)
「平北郡猟島」が鋸南町竜島
(りゅうしま)
である。
海岸で高校生が練習をしていた。
手前が佐久間川である。
勝山城
勝山城の由来
勝山城は、源頼朝が石橋山の戦に敗れ当地へ逃れてきた際、いち早く従臣した地頭安西氏が出城として築いた砦に始まる。
勝山城展望塔は鋸南町30周年を記念して、大黒山山頂に建設。
ここからの眺めはいい。
明治39年(1906年)8月9日、河東碧梧桐は勝山までやってきた。
保田の宿屋はどこも避暑客で明き間はない。ようようこの勝山まで落ち延びて、予定以外十二里の道程を全うした。
夜に入って夕立つづきの雨が降る。
『三千里』
勝山漁港
漁港で働く女性が「ここの夕陽はきれいですよ。思わず手を合わせてしまいます。」と言っていた。
漁港の外れに八幡山遊歩道があったので、行ってみる。
勝山城というと大黒山展望台を想像するが、実際の城は八幡山を中心にして築かれたものであったそうだ。
八幡神社の手前に水仙が群生していた。
鋸南町は「水仙の里」である。
八幡山の眺望は木々に遮られてしまう。
夕陽が沈む頃、再び勝山漁港へやって来た。
今日は「思わず手を合わせて」しまうような夕陽ではなかった。
翌朝、三度勝山漁港へ。
漁船の間に富士山。
みさご島の彼方に富士山。
安房勝山では浮島が有名だが、私はみさご島の方が好きだ。
日本武尊
の妃弟橘姫のなきがらが流れ着いたのが、みさご島と言われている。
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