このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
愛媛縣護國神社
〜熱田津の歌碑〜
松山市御幸に
愛媛縣護國神社
(HP)がある。
護国神社は
種田山頭火
の『松山日記』・『一草庵日記』にしばしば登場する。
二月十一日 曇——雨。
紀元節、新らしい世紀を意識し把握し体得せよ、殆んど徹夜だつた、句稿整理。
午前、
道後温泉
入浴、護国神社参拝、午後、一洵兄と同道して月村君を訪ね、三人打連れて漫歩漫談、降りだしたので急いで帰つた。
『松山日記』
八月六日 晴。
東が白むのを待ちかねて起きる、まもなく護国神社の太鼓が、とうとうとうと鳴り出した、だいぶ日が短くなつて、もう五時も近からう。
『一草庵日記』
十月七日 曇のち晴。
早朝護国神社参拝、感謝慎しみの心が湧く。感謝!感謝!感謝は誠であり信である、国への感謝、国に尽くした人、尽くしつゝある人、尽くすであらう因縁を持つて生れ出る人への感謝、母への感謝、我子への感謝、友人への感謝、宇宙霊への—仏—への感謝。一洵が師匠の空覚聖尼からしみじみと教へられたといふ感謝、懺悔、精進の生活道は平凡ではあるがそれは慥かに人の本道であるとつくつくづく思ふ、この三道は所詮一つだ、懺悔があれば必ずそこに感謝があり精進があれば必ずそこに感謝がある筈だ、感謝は慥悔
(ママ)
と精進の娘である、私は此の娘を大切に心に育くんで行かなければならぬ、そして感謝の心で死んでゆきたい、その感謝——誠の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであらう。澄太や一洵にゆつたりとした落ちつきと、うつとりとしたうるほひが見えて居て何か知ら人を動かす力があるのは此の心があるからだと思ふ。
『一草庵日記』
護国神社の愛媛万葉苑に「熱田津の歌碑」があった。
熟田津尓舩乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜
『万葉集』
(巻第一)、額田王の歌である。
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
額田王
(7世紀まで在世)
初期万葉歌人。『日本書紀』によると、斉明天皇の船団は、新羅の侵攻から百済を救援するため、筑紫に向かう途中、伊予の湯に、斉明7年(661年)1月14日に立ち寄ったとある。一行はしばらく滞在し、船団を整え出発する時の歌であろうとされている。
額田王が天皇に代わって詠んだ歌といわれ、また、女帝自身の御歌ともいわれる。「にきたつで船出をしようと月の出を待っていると潮も都合のよい高潮になって来た。さあ出かけようよ」の意。文字は最古の元暦本(1184)による。昭和42年建立。
愛媛縣護國神社
松山市教育委員会
『俳句の里 松山』
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