このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

日の出町句碑公園〜碑巡り〜
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松山市日の出町の石手川沿いに日の出町句碑公園がある。

日の出町句碑公園に正岡子規と五百木飄亭の句碑が並んで居た。

右に正岡子規の句碑


新場処や紙つきやめばなく水鶏

  『寒山落木』 第一(明治二十五年 夏)の句。現在の日の出町を素鵞村小坂といっていた藩政時代、紙漉職人を高知や周桑地方から呼び、藩奉書製造に当たらせた。これらの人の住む集落を新場処と呼んだ。その「紙の里」の昔を偲び、昭和57年11月28日句碑を建立した。現地付近を明治25年の夏散策した際の子規の自筆の句。

左に五百木飄亭の句碑


そゝろ来て橋あちこち登夏の月

 本名良三。常磐会寄宿舎以来の子規の句友で、別に犬骨坊の筆名がある。新聞社「日本」に入社後、国事奔走することが多く、俳句から遠ざかった。松山医学校卒。この句碑のやや西の方に飄亭の生家があった。この地ゆかりの自筆句を碑とし、子規句碑と同時に、昭和57年11月28日建立した。

松山市教育委員会

『俳句の里 松山』

新田次郎文学碑もあった。


アラスカの氷の華や和田重次郎
君子蘭和田重次郎のことを偲びつつ
犬橇の夢はうつつや重次郎
犬橇の神様といわれし日本人
   名のみ残りてその跡のなし

著書「犬橇使いの神様」出版に際して記す

和田重次郎像


和田重次郎顕彰碑もあった。


オーロラに駆けるサムライ

終生、母親に孝養を尽くす

平成19年(2007年)9月3日、建立。





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