このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
最明寺
〜小林一茶〜
松山市上難波に最明寺という寺がある。
大雄山最明寺
臨済宗妙心寺派
の寺である。
最明寺に
小林一茶の句碑
があった。
朧々ふ免者水也まよひ道
(おぼろおぼろふめばみずなりまよいみち)
昭和38年(1963年)12月、建立。
本堂横に茶来の句碑があった。
枝折れて何と這うべき蔦
寛政7年(1795年)1月13日、
一茶
は西明寺を訪れた。
十三日、槌
(樋)
口村などいへる所を過て、七里となん、風早難波村、茶来を尋ね訪ひけるに、已に十五年迹に死き〔と〕や。後住最明寺宿
リ
乞に不許。前路三百里、只かれをちからに来つるなれば、たよるべきよすがもなく、野もせ庭もせをたどりて、
朧々ふめば水なりまよひ道
『西国紀行』
西明寺(現最明寺)に辿りついた一茶は、西明寺十一代住職竹苑文淇上人(月下庵茶来)に面会を求めたが、既に15年前(天明元年)に亡くなっていた。
更に、ここでの宿も断られ、一茶は大いに落胆した。
茶来は、一茶の師二六庵竹阿の俳友で、一茶は茶来を頼りに西明寺を訪れた。
松山市教育委員会
『俳句の里 松山』
「一茶座像レリーフ」があった。
雀の子そこのけく御馬が通る
やれ打つな蠅が手をすり足をする
痩がへるまけるな一茶是にあり
平成6年(1994年)11月、一茶来訪二百年を記念して建立。
今年の旅日記
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください