このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

川之江高校〜与謝野寛・晶子夫妻の歌碑〜
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四国中央市川之江町に川之江高校がある。

玄関の前に尾藤二州の碑があった。


志ノ一事ハ自心ニ問テ決スヘシ

 明治41年(1908年)、組合立三島女学校として開校。

 大正11年(1922年)、愛媛県立宇摩高等女学校になる。

 昭和6年(1931年)11月1日、 与謝野寛・晶子 夫妻が講演に訪れる。

 昭和23年(1948年)、愛媛県立川之江高等学校になる。

 平成3年(1991年)秋、夫妻来校60周年を記念して川之江高校同窓会は 与謝野寛・晶子夫妻の歌碑 を建立。川端翠楊書。

 平成14年(2002年)、第84回全国高等学校野球選手権大会で準決勝まで進む。

玄関の右手に与謝野寛・晶子夫妻の歌碑があった。


こゝにして窓に入る山みな青しまして風吹く燧灘より
   寛

少めたち錦の袍にまさりたる山のこゝろに包まれてあれ
   晶子

碑 陰

昭和六年秋、与謝野鉄幹、晶子夫妻が四国周遊の途次知友古田拡教頭の招きにより来校、当校に於いて詠める歌を茲に記念して誌す。

川之江高校裏の「高原ふるさと館」に尾藤二州先生の像があったようだ。



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