このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

恵美須神社〜大原其戎の句碑〜
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松山市三津2丁目に恵美須神社がある。


社殿の左手に大原其戎の句碑があった。


日永さやいつまでこゝにいよの富士

平成25年(2013年)5月、其戎玄孫 大原啓司(長野県上田市)建立。

 恵美須神社(松山市三津2丁目)の大原其戎(文化9年(1812年)〜明治22年(1889年)78歳)は、明治13年(1880年)78歳)1月、全国で3番目に古い月刊俳誌『真砂の志良邊』を創刊した。明治20年(1887年)7月下旬、 正岡子規 (21歳)は 其戎宅 を訪れ俳諧の手ほどきを受けた。

 明治21年(1888年)5月13日正午より、俳誌第百号刊行祝賀句会を、久万ノ台の成願寺で挙行した折、宴酣(たけなわ)に至り、西は防長山口より豊後大分、西南は伊予長浜まで見晴るかす瀬戸の、興居島(ごごしま)の夕映えにほだされて詠んだ句。

 句碑の文字は、子規自筆選句集『なじみ集』其戎の項の、子規自筆を拡大したもの。

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