このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

坊っちゃんスタジアム〜正岡子規〜
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松山市市坪西町に坊っちゃんスタジアムがある。


正岡子規  野球殿堂入り記念


正岡子規
(1867〜1902)は学生時代
幼名升(のぼる)にちなみ「野球」
(のぼーる)のペンネームを用い誰よりも
野球を愛し熱中しました。「打者」「走者」
「直球」「四球」「死球」などの用語を多く訳出し
新聞記者時代には記事を通して、全国に野球を
紹介しました。松山に野球を伝え、野球の俳句や
短歌を詠み小説のモチーフとして野球をとりあげ
るなど日本初といわれる業績を数多く残しました。
その功績が(財)野球体育博物館に認められ
「新世紀特別表彰」として、2002年1月
「野球殿堂」入りを果たしました。
贈:松山南ライオンズクラブ25周年記念
2002.10.20

正岡子規の句碑


草茂みベースボールの道白し

『寒山落木 巻五』 (明治二十九年 夏)収録の句。

 ここ松山の地に野球を伝えたのは正岡子規であると言われる。

 明治20年代のはじめ、子規はアメリカから伝わったベースボールに熱中し、故郷松山の友人知己にこれを教え自らも左利きのキャッチャーとして活躍した。また、新聞紙上にベースボールを紹介・解説する連載記事を執筆し、俳句・短歌・小説などの題材にもとり入れ、その面白さを広く世に推奨した。子規には、幼名の升(のぼる)にちなんだ「野球(のぼーる)」という雅号もある。

 「坊っちゃんスタジアム」は、学生時代からの親友 夏目漱石 の名作に由来する名称で、子規が野球に注いだ情熱はこの球場に永く生き続けることであろう。

平成13年(2001年)、松山東ロータリークラブ建立。

ユニフォーム姿の子規。


(明治23年4月、当時22歳)

子規は自分のペンネームとして、幼名升(のぼる)にちなみ「野球」の表記を用い「のぼーる」と読ませた。

(松山市立子規記念博物館所蔵)

球は霊なり。


霊正しからば、球また正し。
霊正しからざれば、球また正しからず。

近藤兵太郎

JR予讃線市坪駅


電車は1時間に1本。

上空から見た坊っちゃんスタジアム




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