このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

郷土歴史博物館〜松平春嶽公像〜
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養浩館 の西側に福井市立郷土歴史博物館がある。

郷土歴史博物館の入口に松平慶永の歌碑があった。


ふるき世のその面かけを忍ふにはふみより外にしく物そなき

平成16年(2004年)4月、ふくいピュアライオンズクラブ寄贈。

寄贈の趣意

 福井十六代藩主松平慶永(よしなが)公は、春嶽と号され、幕末の時代に、新しい日本を築こうと尽力されました。

 また、公は一流の教養人でもあり多くの和歌も残されました。

 この和歌は「文」という題がつけられ、「昔の世の様子、精神などを垣間見るためには、先人の残した文以上に良いものがあるだろうか」という大意となります。

 ふくいピュアライオンズクラブは、結成5周年記念事業といたしまして、この歌碑を贈ることとなりました。

 この事業が、春嶽公の精神、ご業績を末永く伝えるための一助となれば幸に存じます。

歌碑の右に松平春嶽公像があった。


平成19年(2007年)9月、福井ライオンズクラブ奉造。

松平春嶽公(慶永−1828〜1890)

 徳川田安家に生まれ11歳で第十六代福井藩主となりました。春嶽公は藩内外のすぐれた人物を登用し、福井藩の財政再建や教育刷新、医療や福祉にも手腕を発揮しました。さらに、幕政にも参画し将軍継嗣問題や朝廷・幕府間の調整に関わり一貫して平和的なわが国の近代化に尽くしました。公はまた、文人としても高く評価され、今なお郷土人士の尊敬と敬愛を集めています。

 そこで春嶽公の生誕180年を記念し、福井ライオンズクラブは創立50周年記念事業として青年時の尊像を奉造いたしました。本像が公の歌碑と共に公を偲び後世まで偉業を伝えるよすがとなりますれば幸いです。

郷土歴史博物館の裏に舎人門があった。




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