このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2014年
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福岡城跡
〜下之橋御門〜
福岡県は「黒田官兵衛ゆかりの地」ということで、福岡城跡に行ってみた。
下之橋御門と(伝)潮見櫓
慶長5年(1600年)、黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により
中津城
から筑前一国52万3千石を得て名島城に入城。
下之橋御門
福岡城は、福岡藩初代藩主黒田長政によって、慶長6年(1601年)から7年をかけて築かれました。城内への門は、堀に架かる3つの橋、上之橋・下之橋・追廻橋にそれぞれあり、このうち下之橋を渡って入る門がここ下之橋御門(下の橋大手門)です。
現在の門は文化2年(1805年)に建てられましたが、明治時代に上層部を失い、長く一層のままでした。平成12年(2000年)に不審火によって被災したため、復旧に向けた調査研究を行い、同20年に二層櫓門として復元しました。
門の上層部は、部材に残る痕跡・発掘調査結果・絵図・文献史料などにより、その規模、北側の下家
(げや)
の様子、柱の立つ位置、外壁の漆喰壁などが明らかになりました。また直接の資料を欠く部分は、上之橋御門(上の橋大手門)の古写真や本丸表御門(現・崇福寺山門)などを参考にしました。
この復元は専門家で構成する「福岡城跡建造物等復元整備検討委員会」で検討されたものです。これとは異なった復元案も提案されましたが、現段階でより蓋然性が高いと判断された本案を採用しました。
福岡市教育委員会
黒田長政は黒田孝高の子。
(伝)潮見櫓
福岡城に50近くあった櫓の一つです。大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年に再移築されました。
潮見櫓の本来の位置は、現在の位置ではなく三ノ丸北西角であり、また、この櫓は平成3年の調査の結果、潮見櫓ではなく、場内の別の櫓であったと考えられています。
福岡市教育委員会
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