このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

戒壇院〜天下の三戒壇の一〜
indexにもどる

太宰府市観世音寺に戒壇院がある。

 戒壇院戒壇は、正式な僧侶になるための授戒を行う場所です。正統な戒律教育・授戒作法を伝えるためさまざまな苦難を乗り越え日本に渡来した唐僧鑑真により、天平勝宝6年(754)年に東大寺に設けられたのが始まりです。その後、天平宝字5年(761年)に下野薬師寺とこの観世音寺に戒壇院が置かれ、あわせて「天下の三戒壇」と呼ばれました。ここ西戒壇では西海道諸国(九州)の僧尼を対象とし、天文23年(1554年)まで授戒がおこなわれた記録が残っています。江戸時代に黒田藩家臣鎌田昌勝や博多の豪商浦了無らにより再興され、本堂をはじめ現在に伝わる鑑真和上像、本尊脇侍、梵鐘、鐘楼等も新造されました。元禄16年(1703年)、藩命によって観世音寺を離れて博多禅宗四ヶ寺の管理となりましたが、現在は 臨済宗妙心寺派 の寺院になっています。

 本尊は、東大寺と同じ盧舎那仏(平安時代の作)で、重要文化財に指定されています。また、江戸時代に造られた本堂や仏像は県指定、あるいは市指定文化財となっています。本堂は平成3年(1991年)の台風で大きな被害を受けましたが、平成6年(1994年)に企業の援助及び市民の浄財などで解体修理がなされました。

太宰府市

山門


   天下の三戒壇の一

西戒壇

開山 天平宝字5年(761年) 鑑真和上
本尊 毘盧舎那佛 国指定(重要文化財)

戒壇は奈良時代に国家が正式に各宗派僧侶の資格を認める受戒の儀式のためと戒律のために設けられた。

本堂内戒壇には天竺(インド)唐(中国)大和(奈良)三国の土が納められている。

鐘楼


本堂


明和8年(1771年)5月、蝶夢は戒壇院を訪れている。

戒壇院は孝謙天皇天平勝宝八年、唐の鑑真和尚日本に受戒の教をはじめて行ひ給ひし霊場なり。


人は少なかった。

観世音寺 へ。

今年の旅日記 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください