このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

直方市石炭記念館〜貝島太助〜
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多賀神社 社務所手前の石段を下りて行くと、 石炭記念館 (HP)があった。

コベル32号蒸気機関車


この蒸気機関車は大正14年(1925年)、貝島大之浦炭鉱が資材運搬用としてドイツから輸入した炭鉱専用の機関車で、昭和51年(1976年)8月の閉山まで52年間走り続けました。

石炭記念館別館


右が本館。

 この建物は、日本石炭協会の前々身ともいうべき筑豊石炭鉱業組合の直方会議所として明治43年8月に建てられたもので、現在石炭にとって最も由緒ある建造物の一つであります。

 大正11年4月には筑豊石炭鉱業組合救護訓練書が設けられ、この場所で本格的な救護訓練も始まり、昭和13年には石炭抗爆発予防試験所も、ここから発足しました。

 現在の規模は敷地4,119㎡(1,246坪)本館287㎡(87坪)あとから加えられた別館149㎡(45坪)倉庫54㎡(16坪)となっております。

 本館内には模型、絵画、写真、図表等主として人文的資料を、別館には機械器具等を展示してあり、蒸気機関車、第一号炭貨車等とともに「石炭記念館」を構成しております。

日本石炭協会九州支部
直     方     市

勇敢な鉱夫たちの像


料金が100円なので、入ってみることにした。

1時間以上、詳しい説明を受けた。

石炭の元になった木はメタセコイヤだそうだ。

 平成23年(2011年)、田川市が所有している山本作兵衛の絵画がユネスコ世界記憶遺産に登録されたが、直方市石炭記念館にも原画が8枚展示されていた。

 筑豊の御三家といわれるのは、貝島太助、麻生太吉、安川敬一郎だそうだ。

 現在、貝島邸跡は 多賀町公園 になっている。麻生太吉は臣麻生太郎の曾祖父。安川敬一郎安川財閥の創始者。

 現在は、平成26年度の連続テレビ小説『花子とアン』で「嘉納伝助」のモデルとなった伊藤伝右衛門が知られている。

珪化木


 珪化木は石炭層の中に含まれている木の化石です。日本の古第三紀層(3千万年〜6千万年前)に属する筑豊炭田でも一般に松岩と呼ばれる不燃性の岩石があるが之が珪化木です。

 珪化木は石炭層の上・下層の砂岩や頁岩の中にあって強い地圧を受け珪素など浸入によって大木の根元が石化したものです。

 自然がつくりだしたこの珪化木のみごとな年輪と木目をとくとご覧下さい。

 この珪化木は宮田町大之浦炭鉱で掘られたものです。

C11−131号蒸気機関車


 この機関車は昭和13年2月22日、日本車輌株式会社で製作され、同16年まで日豊、松浦、唐津の各線で旅客列車を引っ張っていた。その後は同45年までの約30年間を当筑豊地区で石炭輸送等の為に活躍してまいりました。

 この機関車が誕生以来33年間を走り続けた距離は約130万キロにも及び、これは地球を約32周した計算になります。

(日本国有鉄道 九州総局)日本石炭協会 九州支部

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