このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

筑後川昇開橋〜国指定重要文化財〜
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大川市向島の筑後若津駅跡地に筑後川昇開橋展望公園がある。

昭和13年頃の昇開橋と大型汽船


遊歩道を歩く。


昇開橋


 国鉄佐賀線は、昭和10年(1935年)5月25日鹿児島本線瀬高駅と長崎本線佐賀駅を結ぶ鉄道(総延長24km)として筑後川昇開橋を含む全線が開通した。

 佐賀線の開通以前、大川・柳川地区から佐賀・長崎方面へ行く場合は、鳥栖・久留米を経由するほかに方法がなく、まさに“陸の孤島”とされていた。

 鉄道開通以後、佐賀市までの通勤通学や筑後平野でとれた米の輸送も速くなり、また、以前は木材の輸送もイカダで運ぶだけであったが、この鉄道により各地の木材も送り込まれ、家具建具の生産が増え、まちの発展に大きく貢献した。

 しかし、昭和30年(1955年)大川橋が開通し、乗用車の普及やバスの路線の充実により年々利用者が減り、貨物も陸運輸送の発展にともなって取扱量が減少したため、第二次廃止対象路線に指定され、昭和62年(1987年)3月27日をもって、52年にわたる鉄道の歴史に幕を閉じた。

 筑後川昇開橋は、船舶航行のために中央部が上下に動く昇降式可動橋では東洋一といわれ、現存する可動橋としては、この橋が全国唯一である。

 この歴史的文化遺産を保存し後世に伝えるため、展望プロムナードとして再生し、筑後若津駅跡地を中心に駅舎をイメージした展望棟、モニュメント等を設置し、『筑後川昇開橋展望公園』として総合的に整備したものである。

大川市

昇開橋が昇開した。


なかなか迫力がある。


 国指定重要文化財

旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)

 筑後川昇開橋は、旧国鉄佐賀線の鉄橋として昭和10年5月に竣工しましたが、急流の中に船の航行を容易にするため、昇降式可動橋を取り込み設計されている点に特色のある景観を添えております。

 この昇降式可動橋は全体で約507メートルあり、鉄塔の高さは約30メートル、可動桁の長さは約24メートルで東洋一の規模を誇り、さらに現存する可動橋としては最古のものといわれています。

 開通以来、この鉄橋は沿線の地域や住民に故郷のシンボルとして格別の愛着を持って親しまれてまいりしたが、急激な自動車文化の進展に伴い大型橋梁の建設と相俟って、佐賀線も昭和57年の国鉄第二次廃止対象路線となり、昭和62年3月佐賀線の廃止とともに鉄道橋としての使命を終えるところとなりました。

 しかし、この昇開橋に寄せる地元住民の愛着と郷愁の念は止み難く、大川市・諸富町があい携え、歴史的資源並びに地域発展のシンボルとしての保存運動が実り、平成8年4月財団法人筑後川昇開橋観光財団が設立され、遊歩道として生まれ変わりました。

 また、平成8年12月に国の 登録文化財 の第一陣に登録され、さらに平成15年5月30日に技術的に優秀かつ歴史的に価値が高いとの理由により、 国指定重要文化財 に指定されました。

大川市教育委員会

対岸に渡れるとは思わなかった。

筑後川昇開橋展望公園の駐車場の前に 若山牧水の歌碑 がある。

上空から筑後川昇開橋が見えた。


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