このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2012年
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黒塚
〜ふるさと文化村〜
国道4号から安達ヶ原入口で県道62原町二本松線に入り、阿武隈川を渡る。
阿武隈川沿いの杉の木の下に黒塚があった。
奥州安達ヶ原黒塚の由来
奥州安達ヶ原黒塚は、奈良時代の神亀3年(726年)紀州の僧、阿闍梨祐慶が如意輪観音菩薩を念じ、破魔の真弓に金剛の矢をつがえ、鬼婆を射て埋葬したところである。
平兼盛が詠んだ
みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか
の歌をはじめ、歌舞伎、謡曲、浄瑠璃等で昔から演じられている安達ヶ原の鬼婆の物語は、全国的に知られている。
なお、菩提寺である
観世寺
には、鬼婆の住家であった奇岩怪石の岩屋が今なお残っており、俳人正岡子規の
涼しさや聞けば昔は鬼の家
の句碑がある。
平兼盛の歌碑
黒塚
みちのくのあたちか原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか
『拾遺集』には「
言ふはまことか
」とある。
平兼盛は『百人一首』の歌で知られている。
忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで
元禄2年(1689年)5月1日(陽暦6月17日)、芭蕉は黒塚を訪れている。
二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。
『奥の細道』
大正14年(1925年)7月8日、
荻原井泉水
は「黒塚」を見ている。
あぶくま川を渡り、大平村といふ所の道端に「黒塚」といふものがあった。それは塚の形に土を盛った上に老いた杉が立ち、石を隠してある。石には
みちのくの安達の原の黒塚に
鬼こもれりと聞くはまことか 平兼盛
これは拾遺集にある歌である。この歌で云う所の黒塚とは鬼が住んでいた窟という風に解せられるが、今いうこの黒塚は鬼の屍をうずめた所と伝えるのである。
『随筆芭蕉』
(浅香山と黒塚)
安達ヶ原ふるさと村に五重塔がある。
平成5年(1993年)、建立。
五重塔の下に源重之の歌碑があった。
思ひやるよその村雲しぐれつつ安達の原に紅葉しぬらむ
『新古今和歌集』
の恋歌で、歌の前に「陸奥国の安達に侍りける女に、九月ばかりに遣はしける」とあります。
ここ都から遠くはなれたみちのくの村は、群雲が時雨をふらせて、安達の原では紅葉してしまっているのであろう、と私は想像している。という意味ですが、その中に「自分の愛しい女が、よその男のために心変わりしたのでは……、と悩やむ思いをおくった歌です。
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