このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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大垣城
〜戸田氏鉄公騎馬像〜
大垣市郭町に大垣城がある。
大垣城東門
大垣市指定史跡
大垣城跡
大垣城は、牛屋川を天然の外濠にとりいれた要害堅固な平城で、天文4年(1535年)宮川安定によって創建されたと伝えられている。
慶長5年(1600年)
関ヶ原合戦
では、西軍の本拠となり壮絶な攻防戦が繰り広げられたが、戸田家が入城してからは、歴代藩主と共に天下泰平の世を謳歌した。
先の戦災で惜しくも天主閣を焼失したが、現在城跡一帯は市民の憩いの場として親しまれている。
大垣教育委員会
慶長5年(1600年)9月14日、合戦前日の夜半に石田三成隊約6千は西軍諸隊とともに大垣城を出て、合戦当日の午前1時頃笹尾山に布陣した。
艮櫓
昭和60年(1985年)、復元。
大垣城天主
昭和20年(1945年)7月29日、大垣空襲で焼失。
昭和34年(1959年)、復元。
戸田氏鉄公騎馬像
慶長9年 (1604年)、戸田氏鉄は近江
膳所藩
二代藩主となる。
元和3年 (1617年)、摂津尼崎藩5万石へ移封。
寛永10年(1633年)3月23日、松平定綱が山城淀藩より入るが、伊勢
桑名藩
へ移封。
寛永12年(1635年)7月28日、戸田氏鉄は尼崎から美濃大垣藩10万石に移封。
寛永14年(1637年)、島原の乱に出陣。
慶安4年(1651年)、致仕。
明暦元年(1655年)、大垣城で没。
大垣市西外側町に戸田家菩提寺の
円通寺
がある。
本間道悦は大垣藩の藩医として仕えた。
俳人戸田如水 は大垣藩家老次席。戸田氏鉄の孫。恕水。
俳人高岡斜嶺、
近藤如行
、
宮崎荊口
は大垣藩士。
俳人岡田千川は大垣藩士。宮崎荊口の次男。
嘉永6年(1853年)5月13日、吉田松陰は江戸に行く途中、桑名から大垣に出る。
十三日 晴。巳時、舟今尾に至る。桑名より今尾に至る六里。是れより陸に登り、伸助と別れ、獨り莊・滿と大垣に向ふ。路に二つの渡を經て大垣に出で、同
(とも)
に一杯を酌みて別る。
『癸丑遊歴日録』
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