このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
湖や暑さを惜しむ雲の峰
大津市丸の内町に膳所公園がある。
膳所公園
膳所城跡である。
慶長6年(1601年)、徳川家康は
藤堂高虎
に築城させる。大津城主戸田一西が3万石で入城。
慶長8年(1603年)、戸田氏鉄は膳所藩二代藩主となる。
元和3年 (1617年)、氏鉄は摂津尼崎藩5万石へ移封。本多康俊、膳所藩藩主となる。
元和7年(1621年)2月、本多俊次が膳所藩主本多家二代となる。
近江大橋を背景にして芭蕉の句碑があった。
湖や暑さを惜しむ雲の峰
出典は
『笈日記』
(湖南部)。
「
去年の夏、又此のほとりに遊吟して、遊刀亭にあそぶとて 納涼 二句
」とあるうちの2句目である。
元禄7年(1694年)6月中旬、芭蕉翁は膳所の能太夫遊刀の家でこの句を作りました。膳所
義仲寺
の無名庵に最後に滞在していたときのことです。
琵琶湖の上に高々と立ちのぼっている雲の峰は、夕方の涼しい風が吹き渡ってくるようになっても、まるで昼間の暑さを惜しんでいるかのようである。
湖と雲が演出する雄大な景色が目に浮かびます。
大津市
7月15日、芭蕉は大津から
帰郷
。
享和2年(1802年)3月23日、太田南畝は膳所城を出て「打出の浜」へ。
膳所城の大手を出て左に稲荷社有。右に走井五百羅漢建立といふ札あり。又妙見大菩薩あり。左に若宮八幡あり。城門を出て打出の浜なるべし。湖水のけしきは去年も見しかば、くはしくは書ず。
『壬戌紀行』
嘉永4年(1851年)3月22日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、大津から膳所を経て
瀬田
へ。
逢坂を越え、大津に至りて餐を傳ふ。阿侯も亦ここに憩ふ。湖水、前に當りて渺茫愛すべし。膳所の城中を經て勢多に抵り雨に遇ふ。
『東遊日記』
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