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私の旅日記2011年

瀬田の唐橋 〜芭蕉の句碑〜
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大津市瀬田に唐橋公園がある。


日本三大名橋 瀬田の唐橋


俵藤太百足退治伝承の地

 この地は平安時代の武将で有名な俵藤太( 藤原秀郷 )が、百足を退治したというところです。

 藤太は承平年間(931〜38)、 瀬田橋を渡ろうとしたとき、百足の害で困っていた老翁(龍神)の願いを聞き入れ、瀬田橋から三上山に住む大百足を、弓で見事に退治した伝承はよく知られています。

瀬田の唐橋


平成9年(1997年)4月26日、建立。

 寿永3年(1184年)、源範頼・ 義経 軍、瀬田・宇治にて 木曾義仲 軍と戦う。木曾義仲、今井兼平戦死。

 貞応2年(1223年)4月4日、京都に住む隠者が瀬田の唐橋を渡り鎌倉へ東海道を下る。

 四月四日、曉、都ヲ出。朝ヨリ雨ニ逢テ、勢多橋 ノ此方(こなた)ニ暫ク留(とどまり)テ、浅増クシテ行。今日明日トモシラヌ老人ヲ独リ思ヲキテユケバ、

   思ヲク人ニアフミノ契アラバ今帰コン勢多ノナカミチ


 寛文2年(1661年)3月、 西山宗因 は瀬田の橋を渡り松島に向かう。

瀬田の橋

   日脚さへ廻るか遅し瀬田の橋


唐橋公園に芭蕉の句碑があった。


五月雨に隠れぬものや瀬田の橋

出典は 『阿羅野』 (荷兮編)。

 瀬田の唐橋は、近江八景の一つ「瀬田の夕照」の地として有名で芭蕉翁も何度か訪れたことがあります。琵琶湖やあたりの気色のすべてが、五月雨にかすんでいる中で、さすがに瀬田の唐橋だけは、雨にも隠されることなく、長々と横たわって見えている。

 五月雨に煙る湖と唐橋を詠んだスケールの大きなこの句は、貞亨5年(1688年)の夏に作られました。

大津市

 元禄3年(1690年)9月21日、 鬼貫 は瀬田の橋を渡り江戸に向う。

長はしをわたりて、

   瀬田の秋よこ頬寒しかゞみやま


唐橋から見る瀬田川


丈草の句

幾人かしぐれかけぬく瀬田の橋


 享和元年(1801年)3月9日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で瀬田の唐橋を渡る。

名におふ勢田の大橋は長さ九十六間、小橋は二十三間ありとぞ。橋の前に田原屋といへる酒家ありしも、かの秀郷のゆかりにやとおかし。


 文化6年(1809年)、倉田葛三は九州行脚の途上、瀬田の唐橋で句を詠んでいる。

冬の日の残るところや瀬田の橋


唐橋は 日本の道100選 に選ばれている。


湖や秋靜かなる瀬田の橋

『五百句』

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