このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2004年
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吾妻渓谷
〜若山牧水〜
川原湯温泉共同浴場「王湯」
からJR吾妻線川原湯温泉駅に戻り、今度は吾妻渓谷に行く。
吾妻渓谷のハイキングコースは渓谷沿いを行くのかと思っていたら、上り下りの多い山道だった。
栃洞
(とちぼら)
の滝
見晴らし台から川原湯温泉駅が見えた。
鹿飛橋を渡って、国道145号に出る。
若山牧水の歌が書いてあった。
朽ち果てて、字も半ば読めない。
大正7年(1918年)11月、
若山牧水
は水上から吾妻渓谷を訪れた。
そして端なく通り懸ったこの吾妻の渓はまったく渓らしい渓である。利根の水上よりはるかに渓らしい幽邃と閑寂とを備えて居る。
「吾妻の渓谷より六里が原へ」
吾妻川の上流にあたり渓のながめ甚だすぐれたる所あり、世に関東耶馬渓とよぶ。
岩山のせまりきたりて落ち合へる峡の底ひを渓たぎち流る
うづまける白渦見ゆれ落ち合へる落葉の山の荒岩の蔭に
第13歌集『黒土』
大正9年(1920年)5月にも牧水は渓間の道を逍遥する。この時は敬業館に宿をとった。
この渓間の道の逍遥を楽しませてくれるものに、渓の流れのほかに瀧がある。土地の人の普通に関東耶馬と云っているのは前に言った新大橋から下流12、3町の間、つまり道が岸壁をうがって通じている間だけを言っているのであるが、その短い距離を歩く間にもその対岸に6つか7つか小さな瀧を見ることができる。まことに小さいものではあるが、普通の人には眼にもつかぬ様なそれらの瀧にかえって私は親しみを覚えさせられた。
『静かなる旅をゆきつつ』「渓ばたの温泉」
明治28年(1995年)野口茂四郎により吾妻渓谷に野口新道が開通され、明治31年(1998年)に「新大橋(俗称潮見橋)」が新設された。
牧水が逍遥したのは「野口新道」。現在の国道145号である。
「新大橋(俗称潮見橋)」
「白糸の滝」が見える。
昭和8年(1933年)に「八ッ場
(やんば)
大橋」と「千歳新橋」が架けられたため、「新大橋」は廃橋になった。
滝見橋の両脇に「新大橋」の親柱4本が残っている。
滝見橋から白糸の滝を見下ろす。
滝見橋から吾妻川見下ろす。
八ッ場
(やんば)
大橋が見える。
昭和8年(1933年)9月、
斎藤茂吉
は妻と吾妻温泉郷に遊ぶ。
吾妻川の谿におり來て魚住まぬ川としいへばわれは目守れり
『白桃』
「私の旅日記」
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