このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
花敷温泉
〜若山牧水の歌碑〜
六合村ふるさと活性化センター
「よってがねぇ館」
から国道405号に出て、花敷温泉へ。
大正11年(1922年)10月19日、
若山牧水
は花敷温泉へ。
溪向うもそゝり立つた岩の崖、うしろを仰げば更に膽も冷ゆべき斷崖がのしかゝつてゐる。崖から眞横にいろいろな灌木が枝を張つて生ひ出で、大方散りつくした紅葉がなほ僅かにその小枝に名殘をとゞめてゐる。それが一ひら二ひらと絶え間まなく我等の上に散つて來る。見れば其處に一二羽の樫鳥が遊んでゐるのであつた。
眞裸體になるとはしつつ覺束な此處の温泉に屋根の無ければ
折からや風吹きたちてはらはらと紅葉は散り來いで湯のなかに
樫鳥が踏みこぼす紅葉くれなゐに透きてぞ散り來わが見てあれば
二羽とのみ思ひしものを三羽四羽樫鳥ゐたりその紅葉の木に
夜に入ると思ひかけぬ烈しい木枯が吹き立つた。背戸の山木の騷ぐ音、雨戸のはためき、庭さきの瀬々のひゞき、枕もとに吊られた洋燈の燈影もたえずまたゝいて、眠り難い一夜であつた。
『みなかみ紀行』
六合の里温泉郷
花敷温泉
「花敷の湯」
(HP)
十月二十日
未明に起き、洋燈の下で朝食をとり、まだ足もとのうす暗いうちに其處を立ち出でた。驚いたのはその、足もとに斑らに雪の落ちてゐることであつた。慌てゝ四邊
(あたり)
を見廻すと昨夜眠つた宿屋の裏の崖山が斑々として白い。更に遠くを見ると、漸く朝の光のさしそめたをちこちの峰から峰が眞白に輝いてゐる。
ひと夜寢てわが立ち出づる山かげのいで湯の村に雪降りにけり
起き出でて見るあかつきの裏山の紅葉の山に雪降りにけり
朝だちの足もと暗しせまりあふ峽間はざまの路にはだら雪積み
上野と越後の國のさかひなる峰の高きに雪降りにけり
はだらかに雪の見ゆるは檜の森の黒木の山に降れる故にぞ
檜の森の黒木の山にうすらかに降りぬる雪は寒げにし見ゆ
『みなかみ紀行』
駐車場の片隅に
若山牧水の歌碑
があった。
花敷温泉
「関晴館本館」
にあった歌碑である。
ひと夜寝て
わか立ち出つる
山蔭の
温泉の村に
雪降りにけり
新しい歌碑もあった。
樫鳥が
踏みこぼす紅葉
くれなゐに
透きてぞ散り来
わが見てあれば
路地の奥に古い牧水の歌碑があった。
ひと夜寢てわが立ち出づる山かげの
温泉の村に雪降りにけり
昭和50年(1975年)10月19日、建立。
『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄)によれば69目の牧水歌碑である。
碑石は、仙台地方産の高さ一メートル五〇センチ、横五五センチほどの黒御影で、それに活字体で小さく二行に「大正十一年十月十九日上野国吾妻郡花敷温泉といふに宿り翌朝出立す(歌はペン書きの原稿から)」と刻んだ下に「牧水」という筆の署名があり、ペン字体の歌が二行に刻まれているのはちょっと珍しい。建てられたのは花敷ホテル前の広場、牧水の入った露天湯に近いが、露天湯のなくなっているのと、その後新しい建物が出来て歌碑周辺の窮屈になったのとはいささか残念である。
『牧水歌碑めぐり』
新たな句碑も2基あった。
真裸体に
なるとはしつつ
覚束な
此処の温泉に
屋根のなければ
折からや
風吹きたちて
はらはらと
紅葉は散り来
いで湯の中に
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