このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

龍廣寺〜村上鬼城〜
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高崎市若松町に龍廣寺という寺がある。


 慶長3年(1598年)、 箕輪城主 井伊直政は城を和田に移す。

直政は和田を高崎と改称した。

 慶長4年(1599年)、箕輪から白庵和尚を招請して龍廣寺を創建。

曹洞宗 の寺である。

龍廣寺山門


山門を入ると、右手に 村上鬼城 の句碑があった。


大寺や松の木の間の時雨月

昭和45年、建立。

高崎山龍廣寺


本堂右手の植え込みにも村上鬼城の句碑があった。


泉わくやときとき高く吹上くる

村上鬼城の代表作である。

昭和42年、建立。

本堂左手の墓地に村上鬼城の墓がある。


正面
 青萍院常閑鬼城居士

右側面
 昭和十三年九月十七日歿

       鬼城村上荘太郎

        享年七十四歳

裏面
 昭和十四年九月男信肇建之

 高崎市指定史跡
村上鬼城の墓

 日本の代表的俳人、村上鬼城の墓である。

 鬼城は、鳥取藩士小原平之進の長子として、慶応元年7月20日江戸藩邸に生まれた。幼年時代に高崎に移り住み、昭和13年にその生涯を終えるまで、この地で活躍した。

 明治28年に 正岡子規 と書簡のやりとりを行ったことで俳句に開眼し、雑誌『ホトトギス』に俳句や写生文が掲載されるようになった。その後、大正6年に『鬼城句集』を出版するなど俳壇の中心として活躍し、数多くの優れた作品を残した。また、自らの生活を詠んだ句が多く、「境涯の俳人」と呼ばれた。

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