このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2006年
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小林本陣跡
〜旧中山道〜
新町は
中山道
六十九次で江戸から11番目の宿場。
「木曾海道六十九次之内 新町」(広重)
新町宿が設けられたのは、中山道中最も遅い承応2年(1653年)頃。新町宿ができるまでは、角渕(現群馬県玉村町)を経て
倉賀野宿
へ向かっていた。
明和3年(1766年)10月22日、建部凉袋は新町宿へ。
雨ふりしかども行べしとて、あるじもあどひて、新町のうまやなる禹貢
(ミツギ)
がりうつる。また指山亭にもやどる。藤岡なる素明
(もとあきら)
来て、一夜やどりて帰る。
『三野日記』
八坂神社
から中山道の旧道を行くと、新町宿の高札場跡があった。
新町宿の高札場跡
新町宿は落合新町と苗木新町が合併して成立した。ここがその両町の境で、幕府の禁制・掟など木札を立てて公示した場所である。
1654年、落合村と笛木村が合併して新町宿が誕生。
温井川の手前に小林本陣跡があった。
小林本陣跡
享和2年(1802年)4月5日、太田南畝は新町宿を通る。
小流あり。橋をわたりて新町の駅をすぐ。駅舎長くたてつゞけり。左に寺あり。又宿助郷人馬札揚といへる札かけし会所あり。上野国緑野郡稲垣藤四郎支配所といへる榜示たてり。
『壬戌紀行』
文化5年(1808年)5月27日、小林一茶は
草津
に向かう途中、
本庄
から新町へ。中島屋松五郎で休む。
新丁
(町)
中島屋松五郎に休む。
『草津道の記』
同年12月14日、小林一茶は郷里の柏原から江戸に向かう途中、新町の吉野屋に泊まる。
十四日 晴 新町吉野屋泊
『文化五・六年句日記』(文化5年12月)
文化11年(1814年)7月22日、一茶は郷里の柏原を発ち、8月6日に
坂本
から新町へ。
六 雨 新町 小林
『七番日記』(文化11年8月)
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