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私の旅日記2006年

小林本陣跡〜旧中山道〜

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新町は 中山道 六十九次で江戸から11番目の宿場。

「木曾海道六十九次之内 新町」(広重)


 新町宿が設けられたのは、中山道中最も遅い承応2年(1653年)頃。新町宿ができるまでは、角渕(現群馬県玉村町)を経て 倉賀野宿 へ向かっていた。

 明和3年(1766年)10月22日、建部凉袋は新町宿へ。

 雨ふりしかども行べしとて、あるじもあどひて、新町のうまやなる禹貢(ミツギ)がりうつる。また指山亭にもやどる。藤岡なる素明(もとあきら)来て、一夜やどりて帰る。


八坂神社 から中山道の旧道を行くと、新町宿の高札場跡があった。


新町宿の高札場跡


 新町宿は落合新町と苗木新町が合併して成立した。ここがその両町の境で、幕府の禁制・掟など木札を立てて公示した場所である。

1654年、落合村と笛木村が合併して新町宿が誕生。

温井川の手前に小林本陣跡があった。


小林本陣跡


 享和2年(1802年)4月5日、太田南畝は新町宿を通る。

小流あり。橋をわたりて新町の駅をすぐ。駅舎長くたてつゞけり。左に寺あり。又宿助郷人馬札揚といへる札かけし会所あり。上野国緑野郡稲垣藤四郎支配所といへる榜示たてり。


 文化5年(1808年)5月27日、小林一茶は 草津 に向かう途中、 本庄 から新町へ。中島屋松五郎で休む。

   新丁(町)中島屋松五郎に休む。


 同年12月14日、小林一茶は郷里の柏原から江戸に向かう途中、新町の吉野屋に泊まる。

   十四日 晴 新町吉野屋泊

『文化五・六年句日記』(文化5年12月)

 文化11年(1814年)7月22日、一茶は郷里の柏原を発ち、8月6日に 坂本 から新町へ。

   六 雨 新町 小林

『七番日記』(文化11年8月)

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