このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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中山道
倉賀野宿
〜脇本陣〜
高崎市倉賀野町にベイシアマート倉賀野店がある。
ベイシアマート倉賀野店近くに「中山道倉賀野宿」の石柱があった。
中山道
倉賀野宿は江戸から数えて12番目の宿場である。
元禄4年(1691年)10月9日、森川許六は彦根藩中屋敷を出て彦根藩に帰る。10日、倉賀野宿に着いた。
暮て倉ヶ野 といふ駅屋につきぬ。やごとに餅をつく。けふなん十月十日餅といひて、東の方には事ぶく事とて、旅人に宿かさず
十日餅かりのやどりをお
(を)
しみけり
『五老文集』
ベイシアマート倉賀野店駐車場に
中山道倉賀野宿
本陣跡があった。
延享元年(1744年)4月、建部凉袋は秩父から伊香保に向かう途中、倉賀野で句を詠んでいる。
倉賀野
宿を立出れバ旭するどに浅間にむかつて浅ンの雪いと白し
うの華や野も飛び飛びに明しらミ
『伊香保山日記』
道の向かいに中山道倉賀野宿脇本陣。
延享2年(1745年)4月6日、
横井也有
は尾張公のお供をして江戸を下る。8日、倉賀野で句を詠んでいる。
八日
かくいへる所にて
くらが野ときけばや里も木下闇
けふは過る道すがら、家々の軒に藤をさし侍り。花をもさし葉をもさせり。所の人にきけば、仏生会の手向也と云。故郷にて見馴ぬ事也。みちの国に花かつミふくたぐひにやとめづらし。
潅仏もやがてはへとて藤の花
此夜
板鼻
にとまる。
『岐岨路紀行』
中山道倉賀野宿
脇本陣跡
寛政5年(1793年)9月2日、田上菊舎は倉賀野に泊った。
此日倉加野泊、こゝに風雅も好み、念仏三昧なるいと殊勝の老人あり。朝まだき訪れて
秋すみし木喚の音に立寄りぬ
『美濃・信濃行』
享和2年(1802年)4月4日、太田南畝は倉賀野に泊まる。
一里塚榎をへて右のかたをかへりみれば、高崎の城まで見わたさる。倉加野の駅の本陣には松平右衛門佐殿やどらせ給ふ
肥前少将御嫡子
こよひは脇本陣□□□が家にやどる。庭に牡丹の花さかり也。宿のあるじまめやかなるものにて、酒すゝめ物がたれり。
『壬戌紀行』
中山道倉賀野宿中町
御傳馬人馬継立場跡
文化11年(1814年)12月19日、
小林一茶
は故郷の柏原に向かう途中で倉賀野に泊まっている。
十九 晴 倉ケ野 スガ半蔵泊
『七番日記』(文化11年12月)
倉賀野宿
下町
で中山道は例幣使街道と分岐する。
日光例幣使街道の第一宿は
玉村宿
。
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