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私の旅日記2009年

旧板鼻宿本陣書院〜中山道〜
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安中市板鼻に安中市板鼻公民館がある。


安中市板鼻公民館の前に「中仙道板鼻宿」の碑があった。


海音寺潮五郎筆

板鼻宿は江戸から14番目の 中山道 宿場。

 貞亨3年(1686年)4月、 大淀三千風 は信州から妙義、松井田、板鼻、高崎を通り、江戸に下る。

 延享2年(1745年)4月6日、 横井也有 は尾張公のお供をして江戸を下る。8日、 倉賀野 で句を詠んでいる。その夜は板鼻に泊まる。

 八日

 かくいへる所にて

   くらが野ときけばや里も木下闇

けふは過る道すがら、家々の軒に藤をさし侍り。花をもさし葉をもさせり。所の人にきけば、仏生会の手向也と云。故郷にて見馴ぬ事也。みちの国に花かつミふくたぐひにやとめづらし。

   潅仏もやがてはへとて藤の花

 此夜板鼻にとまる。


 享和2年(1802年)4月4日、太田南畝は板鼻宿を通る。

板はな川の橋をわたれば板鼻の駅むげに近し。駅舎をいでゝ麦畑の中を行けば石橋あり。新建石橋、木嶋七郎右衛門供養塔といへる石たてり。げに累々たる石仏をつくらんよりは、橋たてし功徳はまさりぬべし。


 文化5年(1808年)12月13日、 小林一茶 は板鼻宿に泊まっている。

十三日 晴 板ガ(ケ)鼻石川屋

『文化五・六年句日記』

安中市板鼻公民館は板鼻宿本陣跡。

旧板鼻宿本陣書院


皇女和宮 宿泊所)

 この建物は、板鼻宿本陣(木嶋家)に付属した書院であった。書院建設年代は、寛永説(1624〜1644)と嘉永説(1789〜1801)がある。

 公武合体運動により皇女和宮親子内親王(1846〜1877、孝明天皇の妹)が十四代将軍家茂(1846〜1866)に降嫁するため、京都から江戸への下向途次、文久元年(1861年)11月10日に一夜をこの書院で過ごされた。

 時代は下って、板鼻宿本陣敷地が板鼻公民館用地となり、書院はここに曳移転され、外装等に補強の手を加えたが、昔日の面影が偲ばれるよう施工をひかえめとした。

安中市教育委員会



碓氷川を渡ると、中宿。


妙義山が見える。

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