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私の旅日記2009年

八幡宮〜芭蕉の句碑〜
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高崎市八幡町に八幡宮がある。


上野国一社八幡宮


一国一社の八幡宮である。

通称「やわたのはちまんさま」。

石段を登ると、左の斜面に芭蕉の句碑があった。


花之本明神

ものいへは唇寒しあきの風

出典は 『芭蕉庵小文庫』 (史邦編)。

元禄4年(1691年)、芭蕉49歳の時の句。

 天保14年(1843年)、 田川鳳郎 は芭蕉百五十回忌に二条家に請願し、芭蕉に「花本大明神」の号が贈られた。

天保15年(1844年)、芭蕉百五十回忌に矢口一彡建立。田川鳳朗筆。

『はせをつか』 (楓幻亜編)に収録されている。

一彡は八幡の神官。通称丹波。別号生々居丹頂。

天保15年(1845年)12月2日、弘化に改元。

弘化2年(1845年)11月28日、田川鳳郎は84歳で没。

明治7年(1874年)5月、矢口一彡は87歳で没。

鐘楼


昭和53年(1978年)12月、釣鐘鋳造。

神社の釣鐘は珍しい。

拝殿


宝暦7年(1757年)、社殿建立。

祭神
 品陀和気命(ほんだわけのみこと)=応神天皇
並神
 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后

 玉依姫命(たまよりひめのみこと)

天徳元年(957年)、京都の石清水八幡宮を勧請。

 永承年間(1046〜1052年)、源頼義・ 義家 が奥州征伐の際に戦勝を祈願して社殿を改修、 源頼朝 も社殿を改修し、神田100町を寄進。

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